211『認識論』
2013年1月24日16時10分~17時40分
認識とは、思念体構造の中に組み込まれた記憶である。
思念体構造とは、時空をもたない思念体が時空に確定した特定点を結んだ構造である。
思念体は、非顕在の「私」意識実体の材料であり、顕在世界の精妙エネルギーに重なることによって時空の中に特定点を確定し、顕在世界における「意識」存在として体験を記憶の中に取り込んでいる。
「意識」の体験は、思念体の中に記憶として収納される。
時空に特定点を確保している「私」意識実体が、認識として思念体に収納された記憶を取り出すには、思念体構造を必要とする。
思念体構造は、時空に確定した複数の特定点をつないだ構造である。
「私」意識実体は、前頭葉神経ネットワークの検索装置を用いて生体マトリクスの時空に確定した複数の特定点を振動させ、特定点に関連する記憶を取り出すことができる。
思念体構造は体系的に思念体の中の記憶を取り出すことを可能にする。
思念体構造を通じて体系的にとりだすことができる記憶が認識である。
認識の深まりは、思念体構造の体系的複雑化を意味する。
思念体構造の体系的複雑化とは、時空をもたない思念体が時空に確定した特定点を増やすことにほかならない。
時空をもたない思念体から時空に確定した特定点に関連した記憶をより多く取り出すことが可能になる。
これが認識の深まりである。
認識の源泉は時空存在の中での「私」意識Sの体験にある。
時空の中に特定点を確認できる体験が真理である。
時空の構造は変化のプロセスにあるので相対的真理である。
時空の中に特定点を確認できない体験の記憶は、真理として扱うことではできない。
思念体は存在世界に根拠をもたないあらゆる想像をすることができる。
顕在世界は多様な「私」意識実体が影響を与えあっており、顕在世界に根拠をもたない幻影を思念体の中に記憶としてとりこんでしまう。
真理に忠実に生きるためには時空の中に特定点を確認できる体験の記憶にもとづくべきである。
時空の中に特定点を確認できる体験にもとづいて形成された思念体構造も、顕在世界が生成発展崩壊を繰り返す変化の世界であるゆえに、時間の中で特定点は変化し、思念体構造が依拠している時空の中の特定点からずれてゆく。
したがって時間の経過とともに思念体構造と顕在の事実が乖離してゆく。
認識内容が真理により接近するためには、顕在の事実の確認によって思念体構造を絶えず検証するという姿勢が必要である。
顕在の事実から乖離した思念体構造は、虚偽意識体系に堕落してしまう。
思念体構造は理論である。
理論は、実践(実験、観察)によって検証され、顕在の事実により合致したものに発展させる必要がある。
理論と実践は対立の統一である。
理論であれば、実践ではなく、実践であれば理論ではない。
しかし、理論は実践を前提として実践は理論を前提としなければならない。
理論と実践の統一の探求が、認識を深めて、真理に接近する生き方である。
文書211『認識論』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、211『認識論』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n204-211.html
認識とは、思念体構造を作り上げることである。
思念体は非顕在であり、時空をもたず、構造をつくることはできない。
非顕在の思念体が時空に確保した特定点から言語を用いて構造をつくることができる。
言語は、「私」意識が精妙エネルギーの流れに刻んだラインである。
精妙エネルギーの流れに刻んだラインを用いて思念体構造をつくる。
ラインは時空に確定された特定点にもとづいて刻むこともできるし、特定点にもとづかずに刻むこともできる。
時空の特定点にもとづかずに刻まれたラインは、非顕在の思念体と時空との対立を強める。
時空の特定点にもとづいて刻まれたラインは、非顕在の思念体と時空との統一を強める。
時空との対立を統一した非顕在の思念体の「私」意識は、物的肉体が崩壊しても
そのまま時空に存在を続け、神の思念体の中で永遠の生命になる。
211『認識論』から紹介する。
理論と実践は対立の統一である。
理論であれば、実践ではなく、実践であれば理論ではない。
しかし、理論は実践を前提として実践は理論を前提としなければならない。
理論と実践の統一の探求が、認識を深めて、真理に接近する生き方である。
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