221『協業と分業』
2013年1月26日16時40分~17時45分
協業と分業が生産力を発達させてきた。
資本主義生産様式は、協業と分業を高度に発達させるシステムである。
生産手段の私有と公有は、人間労働を生産計画に従って自由に配置できる。
機械の発達にあわせて必要な人間を配置できるため協業と分業が進むのである。
資本主義は生産力の発達に奉仕させるために人間の人生を費やさせる。
人間の人生は、VO活動の質を高めて魂Sを向上させるためにある。
他者とのかかわりの中にVO活動の質を高める道がある。
①敬意をもって他者に接することはVO活動の質を高める。
②独り占めせずに他者と分かち合うことがVO活動の質を高める。
③協力し合うことがVO活動の質を高める。
④個々人の自決する権利を尊重することがVO活動の質を高める。
⑤わけへだてなく誰に対しても①から④の態度をとることがVO活動の質を高める。
資本主義の協業と分業は、これらすべてにおいてVO活動の質を低め、魂を劣化させ、魂の苦悩に導いている。
資本主義の協業と分業は、経営にかかわる少数者が決定権をもつ。
協業と分業にかかわる実際の労働者は決定権をもたない。
機械制大工業の生産力は、資本主義生産関係に対応するものであり、協業と分業を少数者の決定権のもとにおくことと対応していた。
今日の情報通信技術革命による生産力は、資本主義的生産関係に対応しなくなっている。協業と分業を少数者の決定権のもとにおくことと対応していない。
末端で情報を入力する労働者が、瞬時に全体の情報を得ることが可能になっているのである。
協業と分業を少数者の決定権のもとにおく根拠は、末端の人間は全体情報を入手することができず、中央の少数者のところに情報が集まるヒエラルヒーシステムに根拠がある。
ヒエラルヒーシステムは、情報通信技術革命以前の生産力的限界であった。
情報通信技術革命以前の生産力段階は、資本主義の非民主的経済構造を超えることができなかったのである。
今日の生産力段階は、資本主義の非民主的なヒエラルヒーシステムを根本から転換し、共有にもとづく民主主義企業の存続を可能にしている。
共有にもとづく民主主義企業とは社会主義である。
資本主義を超えて社会主義が可能な生産力段階に入っているのである。
今日、国際分業が進み、地域間格差が広がっている。
表面的繁栄の裏側で地域経済の衰退が進んでいる。
資本主義の原理は競争原理である。
協力と分かち合いという摂理に反する競争原理は、魂の苦悩のみならず、経済破局をもたらしている。
それぞれの地域の住民が経済自決権をもつためには関税は不可欠である。
生産手段を労働者が共有し、地球を人類全体で共有する社会主義のみが、人類を救う。
文書221『協業と分業』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、221『協業と分業』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n170-221.html
協業とは、協力関係のもとで労働がなされていることを意味する。
分業とは、分担して労働がなされていることを意味する。
協業と分業は労働が摂理もって組織されていることを本来は意味する。
資本主義のもとでは、協業と分業は、本来の分担して協力する関係とはならず、競争に打ち勝つために推進されている。
資本主義が自由競争を経済の原理として成り立っているためである。
自由競争は会社と会社だけではなく会社内部の人間関係にまで貫かれている。
競争のもとで仲間に協力するよりも自分の業績をあげることを優先することが強いられるシステムである。
生産手段を会社の関係者で共有するとき、事態は一変する。
発達した協業と分業の生産力は、分かち合い協力しあう人間関係を生み出す場となる。
分かち合い協力しあう人間関係の場は摂理にそって生きることのできる場であり、魂の喜びと救いをもたらす場である。
生産手段共有の社会主義が働くことを魂の喜びとする職場を生み出す。
221『協業と分業』から紹介する。
今日の生産力段階は、資本主義の非民主的なヒエラルヒーシステムを根本から転換し、共有にもとづく民主主義企業の存続を可能にしている。
共有にもとづく民主主義企業とは社会主義である。
資本主義を超えて社会主義が可能な生産力段階に入っているのである。
Ernesto Cortazar La boema (video inspired by god of star)