249『即自、対自、即対自』
2013年2月3日20時30分~4日8時00分
非顕在の「私」意識実体が集合的に社会を形成している。
社会は構造的存在として低次から高次へと展開してきた。
社会構造は、非顕在の「私」意識実体の共有する思念体構造によってささえられる。
社会構造は、構造の確立、構造の亀裂、構造の崩壊と高次構造への転化というプロセスをたどる。
社会構造を支える共有された思念体構造は、社会構造の展開に対応して即自、対自、即対自の変遷をたどる。
社会構造に思念体構造が対応している段階が即自である。
社会構造に亀裂が生じ、思念体構造に亀裂が生じた段階が対自である。
社会構造が高次構造に転化し、思念体構造が高次構造に転化する飛躍の段階が即対自である。
思念体構造は、非顕在の思念体が時空に確保した複数の特定点を結んで構造として成立させている。
時空存在は時間の中で流れており、思念体が確保した時空の特定点は過去のものになり、思念体構造は存在の事実に立脚しなくなる。
思念体構造が存在の事実に立脚して思念体構造に亀裂がない段階が即自である。
思念体構造が立脚する時空の特定点のいくつかが過去のものになり、思念体構造に亀裂が入った段階が対自である。
思念体構造が立脚する時空の特定点のすべてが過去のものとなり、新しい思念体構造に置き替わった段階が即対自である。
思念体構造に亀裂が入った対自段階には、新しい思念体構造の共有化が広がってゆく。
対自段階は、思念体構造の亀裂を修復強化する方向と新たな思念体構造を確立する方向との対抗の時期である。
思念体構造も即自、対自、即対自の段階をたどる。
社会構造の確立に対応する集合的に共有された思念体構造は、個人の思念体構造と対応する。
社会構造の亀裂の段階においては、個人の思念体構造にも亀裂が生じる。
思念体構造が立脚する時空の中の特定点のいくつかが過去のものになっているために思念体構造がゆらぎはじめる。
個人の思念体構造の内部においても亀裂を修復強化する方向と新たな思念体構造の確立の二つの方向が対抗する。
非顕在の思念体が時空に確定した複数の特定点にもとづいて思念体構造は確立した。
思念体を修復強化する方向は、時間の流れとともに時空に確定した特定点を失うために存在の事実から遠ざかり、観念論に傾斜してゆく。
非顕在の思念体構造を正当化するには観念論に依拠するしかない。
対自段階では、非顕在の思念体構造を修復強化しようとする観念論と存在の事実にもとづく思念体構造を模索する唯物論が、個人の思念の内部でも相対することになる。
思念体構造が時空に確定していた複数の立脚点がすべて過去のものになる時、思念体構造はまったくの虚偽イデオロギーとなる。
新たな思念体構造が未確立の場合は、社会は虚偽イデオロギーに導かれるために苦悩の時期を長引かせる。
新たな思念体構造は、時空に複数の特定点を確定し、存在の中に立脚点をおく唯物論的アプローチによってのみ、虚偽イデオロギーに転じた思念体構造にとってかわることができる。
即対自とは、古い思念体構造が時間の流れの中で根拠を失って崩壊し、新しい思念体構造にとってかわる瞬間をあらわす。
思念体構造は非顕在である。時空存在の中に立脚点をもつ思念体構造をもって生きることもできる。時空存在の中に立脚点を失った思念体構造もって生きることもできる。
時空存在の中に立脚点をもつ思念体構造をもって生きることが、摂理にそう道である。
文書249『即自、対自、即対自』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、249『即自、対自、即対自』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n149-249.html
即自、対自、即対自とは、対立の側面からみた発展法則をいう。
即自とは、場に照応する構造が成立した局面である。
対自とは、場が過去に流れ去り、構造に亀裂が入った局面である。
即対自とは、新しい場に照応する構造が成立する局面である。
現在、工業生産力の場は過去に流れ去り、資本主義と国民国家の構造に亀裂が入った局面である。
対自である。
IT生産力の場に照応する社会主義地球政府の樹立の局面が、即対自である。
249『即自、対自、即対自』から紹介する。
非顕在の思念体構造を正当化するには観念論に依拠するしかない。
対自段階では、非顕在の思念体構造を修復強化しようとする観念論と
存在の事実にもとづく思念体構造を模索する唯物論が、個人の思念の内部でも相対することになる。
C'era una Volta il West - Finale, by Ennio Morricone (video inspired by god of star)