266『実存主義』
2013年2月7日14時20分~14時00分
実存主義哲学は神の存在を認めない。
非顕在の「私」意識実体の思念活動に最大の価値を置く。
実存主義哲学は、この宇宙の事実から離れている。
われわれ神々の存在は事実である。
実存主義はその出発点でボタンの掛け違えをしている。
人間は、非顕在の「私」意識実体が顕在の物的身体に重なった存在である。
非顕在の「私」意識実体の生命活動は、顕在の物的身体と重なることで可能になる。
「私」意識実体は、非顕在の思念体である。
非顕在の思念体は、顕在存在の中に特定点を確保することによって思念活動が可能になる。
非顕在の「私」意識SのVO活動が思念活動である。
VOはSに収納され、魂の苦悩と喜びにつながっている。
実存主義は、VO活動の質を問題にしない。
実存主義に導かれた人生の魂は苦悩している。
VO活動の質を問題にしないためにネガティブ神が操作して摂理に反する言動に導く余地を与えるのである。
実存主義は、顕在世界の法則の存在を認めない。
時空存在の中にある構造は生成発展崩壊を繰り返しながら高次の存在構造へと展開している。
実存主義は社会発展の法則を認めない。
社会変革にかかわるとき社会発展の法則を考慮に入れることは必須である。
非顕在の思念体は、時空の複数の特定点とつながることによって顕在存在の世界にかかわっている。
社会構造もまた時空の複数の特定点の上に成り立っている。
時空の特定点は時間の中で位置を移動してゆく。
位置の移動は法則的な展開である。
非顕在の思念体からなる「私」意識実体は、顕在存在の法則的理解なしに建設的な何事もなしえないのである。
実存主義は、この重要な点を否定しているために、実存主義を生きた魂は苦悩の奈落に転落しているのである。
実存主義は主観的観念論の一種である。
観念論哲学の弱点を共有している。
非顕在の思念体は、顕在存在の世界に物的身体を得てはじめて思念活動を展開できるのである。
顕在存在の世界でどのような思念活動を展開するかが非顕在の思念体である意識を規定するのである。
非顕在の「私」意識実体(魂)は、非顕在の高次「私」意識実体(神々)の子である。
実存主義はこの事実に接近することができない理論になっているためにネガティブ神々に自在に操作される。
文書266『実存主義』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、266『実存主義』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n139-266.html
実存主義は、主観的観念論である。
主観的観念論は時空の客観的法則を認めない。
時空の客観的法則を認めない哲学は顕在世界に貢献する生き方に導かない。
顕在時空と非顕在の思念体は対立の統一の関係にある。
時空の客観的法則を認めないことは、時空との対立を強めて人生を終わることになる。
人生の目的は時空との対立を統一することにある。
時空との対立を統一する生き方は神の思念体の質に近づくことである。
実存主義を生きた人生は、時空との対立を強めて人生を終わる。
実存主義を生きた人生は死後、後悔と苦悩の中にうめいている。
266『実存主義』から紹介する。
非顕在の思念体からなる「私」意識実体は、顕在存在の法則的理解なしに建設的な何事もなしえないのである。
実存主義は、この重要な点を否定しているために、実存主義を生きた魂は苦悩の奈落に転落しているのである。
ERNESTO CORTAZAR - Legend Of The Sea (video inspired by god of star)