306『顕在存在における運動』
2013年2月17日18時10分~19時00分
あらゆる顕在存在を運動プロセスとみる弁証法的唯物論は真理である。
顕在存在は多重的である。
顕在存在の根底はヒッグズ粒子の充満と流れから構成される空間と時間である。
空間と時間は対立物の統一である。
空間であれば、時間ではなく
時間であれば、空間ではない。
空間は時間を前提として
時間は空間を前提としている。
顕在存在を静止としてとらえることは顕在存在の事実から離れてゆく。
真実に忠実な生き方から離れ、虚偽にもとづく生き方となり、魂レベルを低下させてゆく。
顕在存在の根底である空間時間自体が動きの中にあるのである。
顕在存在の根底の層に精妙エネルギーの流れがある。
精妙エネルギーの流れが渦の状態はあるが、静止はない。
精妙エネルギーの流れの渦が原子、分子を構成しているが、静止の状態はない。
分子が細胞を構成しているが、瞬時も静止の状態はない。
細胞が臓器を構成しているが、瞬時も静止の状態はない。
星は回転し、太陽系も銀河も回転している。瞬時も静止の状態はない。
この顕在宇宙は瞬時たりとも静止状態はないのである。
静止状態で顕在存在をとらえる見方は、顕在存在の事実から離れた虚偽イデオロギーである。
静止状態で顕在存在をとらえる見方をしていく人は真実をとらえそこねるために魂レベルを低下させる。
非顕在の左渦巻き「私」意識Sが、顕在世界でVO活動を進めるにあたって顕在存在が運動プロセスにあるというリアリティから遠ざかるためにVO活動の質が低下するのである。
空間は時間の中で流れて瞬時たりともとどまらない。
この事実を根底におかない哲学は、時間の中で過去のものとなる。
哲学は、思念体が、時空の中に確定した複数の特定点にもとづいて構造を形作ったものである。
ある哲学がどんなに数多く時空の中に特定点を確保して思念体構造を作り上げても、思念体構造が立脚する複数の特定点は過去のものになってゆく。
顕在存在を静止的にとらえる哲学思想は、どれだけ壮大な体系をつくりあげてもその寿命は短い。
真理に忠実に生きて魂レベルをあげる生き方をめざす人間は、顕在存在は運動プロセスの中にあり、絶えざる変化のプロセスの中にあるという弁証法的世界観を受け入れるべきである。
思念体構造である哲学が、顕在存在は絶えざる変化のプロセスにあるという真理を哲学の根底に組み込むとき、思念体構造がある特定の歴史的時点で立脚した時空の複数のポイントが過去のものになっても、特定点を歴史の現時点のものに変更すれば、思念体構造はそのまま生きるのである。
マルクス、エンゲルスが打ち立てた弁証法的唯物論の思念体構造は真理であり、彼らが立脚した時空の特定点は過去のものになっていることをもって否定するのは真理に忠実な態度ではないのである。
弁証法的唯物論の思念体構造を歴史の現時点の時空に確定した特定点の上において再構築したものが神とともに進むマルクス主義である。
文書306『顕在存在における運動』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、306『顕在存在における運動』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n120-306.html
存在は顕在存在と非顕在存在の対立の統一である。
顕在存在の基底はヒッグズ粒子の充満と流れである。
ヒッグズ粒子の充満が回転しているのが全宇宙である。
ヒッグズ粒子が分岐した多様な素粒子の流れから顕在世界のあらゆる構造が成立している。
顕在世界のあらゆる構造物はヒッグズ粒子の流れから成立しているのである。
顕在世界のすべてはヒッグズ粒子の流れである時間の中の運動において成り立っているのである。
顕在世界を運動においてとらえない哲学はすべて真実から遠ざかる。
弁証法哲学以外はすべて顕在存在を時間の流れの中の運動形態においてとらえない。
弁証法哲学以外のすべての哲学は人間を虚偽意識に導き、魂レベルを下げているのである。
306『顕在存在における運動』から紹介する。
マルクス、エンゲルスが打ち立てた弁証法的唯物論の思念体構造は真理であり、
彼らが立脚した時空の特定点は過去のものになっていることをもって否定するのは真理に忠実な態度ではないのである。
弁証法的唯物論の思念体構造を歴史の現時点の時空に確定した特定点の上において再構築したものが神とともに進むマルクス主義である。
Adiemus & Karl Jenkins - Song Of Tears (video inspired by god of star)