246『自由』
2013年2月3日8時10分~10時00分
自由とは必然性の洞察である。
法則を無視して自由であることはできない。
顕在構造は時間の中で生成発展崩壊を法則の中で繰り返している。
法則の中で高次の存在構造へ転化を遂げる。
法則は貫き、法則からそれただけ反作用を受ける。
自由とは、自分の望む方向に進むことができるということである。
自由とは、非顕在の左渦巻き「私」意識実体が時空に確保している特定点から望む特定点に進むことができることである。
時空存在は時間の中で法則的に変化して瞬時たりともとどまることはない。
非顕在の「私」意識実体が特定点から望む特定点に進むには、両方の特定点自体が時間の中で法則的に変化していることを考慮にいれなくてはならない。
法則を考慮に入れなくては望む特定点に達することはできないのである。すなわち自由ではないのである。
経済活動における自由には規制が必要である。
資本主義の勃興期に小規模な生産手段を個人所有している労働者が、古い経済システムにもとづく規制からの自由を求めたことは進歩的意義があった。
資本主義の末期に大規模な生産手段を所有し、生産をコントロールしている人々が、規制の撤廃を求めて推進していることは、人々から経済活動の自由を奪っていることである。
自由競争の原理が摂理にそった望ましい形で実現するためには、規制は不可欠である。
規制のない自由競争は、一部に富と貨幣が集中することを促進する。
経済における自由競争は摂理に反する。
経済の領域は、非顕在の「私」意識実体が、顕在世界に物的身体を確保するという基底の領域である。
現生人類の10万年の歴史のうち9万5000年の経済は、生産手段を共有し、労働の成果を分かち合っていた。
生産手段の共有をやめ、生産手段の公有のもとで労働の成果の独り占めの階級社会が4800年続いてきた。
この200年間は生産手段の私有のもとで、経済の領域に自由競争が持ち込まれた。
自由競争の原理のもとで富と貨幣を自分のもとに集中させることをめざして生きるという摂理に反した生き方が美化されるようになった。
人類の魂は、摂理に反した生き方を称賛する資本主義経済システムから解放されたいと願っている。
経済の領域での自由競争をやめ、生産手段を共有する社会主義のもとで分かち合う経済を実現することが人類の課題になっている。
経済の領域での自由競争は、人間から自由を奪うことである。
すべての人類が神から平等に「生命、自由および幸福追求の権利」を与えられているというのは真理である。
生命、自由、幸福追求は、人間存在の権利であると同時に実現のプロセスでもある。
すべての人間の生命の権利の保障のために互いに助け合っていた9万5000年の歴史があった。
生存権が実現されないと自由と幸福追求の実現はありえない。
経済の領域に自由競争をもってくる資本主義経済は、人間存在の真理から離れている。
すべての人間の生命の権利の保障のために互いに助け合う生産手段を共有する社会主義経済を実現する。
そこでは経済が民主主義の原理にもとづいて運営される。人民の人民による人民のための民主主義経済である。
社会主義を実現する地球政府のもとで、すべての人類の「生命、自由および幸福追求の権利」が保障される。
文書246『自由』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、246『自由』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n113-246.html
自由とは非顕在の思念体が確保している特定点からどの方向にでも進むことができることを意味する。
自由は魂のレベルアップに必要な前提であるが、自由自体は魂をレベルアップしない。
自由は人生の目的ではなく人生の目的を実現するために必要な条件である。
魂のレベルアップは質の高いVO活動がもたらす。
資本主義は自由を原理とするが、質の高いVO活動の人生を送り、魂レベルをあげるという人生の目的を妨げる。
資本主義の自由は本当の自由ではない。
資本主義のもとで働くとき、成果を分かち合って生きる自由はない。
資本主義のもとで働くとき、他の企業や従業員と競争ではなく心から協力しあって生きる自由はない。
資本主義のもとで働くとき、全従業員の意識を尊重して運営を進める自由はない。
資本主義のもとで働くとき、全従業員を分け隔てなく対処する自由はない。
資本主義のもとで働くとき、摂理にそって生き、魂レベルをあげる自由はないのである。
生産手段を共有する社会主義社会は摂理にそって生き、魂レベルをあげることを可能にする。
資本主義を変革して摂理にそって生きることが可能な社会主義社会をめざして生きるとき、資本主義のもとでも魂レベルをあげる生き方が可能である。
真の自由は資本主義に抵抗し、摂理にそって生きる生き方の中にある。
246『自由』から紹介する。
自由競争の原理のもとで富と貨幣を自分のもとに集中させることをめざして生きるという摂理に反した生き方が美化されるようになった。
人類の魂は、摂理に反した生き方を称賛する資本主義経済システムから解放されたいと願っている。