329『時間空間』
2013年2月22日9時20分~10時50分
時間空間は対立物の統一である。
時間であれば空間ではなく、空間であれば時間ではない。
時間は空間を前提とし、空間は時間を前提とする。
時間と空間はヒッグズ粒子の流れと充満である。
時間空間の中に顕在存在のすべてが展開する。
顕在存在を時間空間の中でとらえない哲学は間違った導きを与える。
顕在存在を静止の中でとらえる哲学は人生と社会を高めない。
顕在存在を静止の中でとらえる哲学はSVOをとらえることができない。
「私」意識Sは、非顕在の思念体が時空に確保した特定点から時間空間の中を進んでゆく。
時間空間の中を進んでゆく途上がVO体験である。
VO活動は非顕在の思念体が時空に確保した特定点にもとづくものであり、そのまま非顕在の思念体Sの中に収納される。
時間空間を静止の中でとらえる思念体構造は、短い期間だけ受け入れられる。
思念体構造が立脚する時空の特定ポイントは時間とともに過去に流れ去る。
時空に立脚点をもたなくなった思念体構造は虚偽意識となり、存在根拠を失う。
時間空間を静止の中でとらえる思念体構造は社会変革を導くことができない。
社会変革を導く思念体構造は、現在の特定点に立脚しており、その構造の中に推定される未来の特定点を組み込み、未来の特定点までの道筋を明らかにする。
それは時間が空間の中で流れているという事実にもとづく。
時間が空間の中で流れている事実に立脚する思念体構造は弁証法哲学である。
弁証法哲学の抽象的概念にもとづく思念体構造は時間の流れの中に未来の到達ポイントを設定し、その集合的共有は未来の到達点を現実化する。
弁証法哲学は、顕在構造が時間の中で生成発展崩壊する事実をとらえる。
この事実から思念体構造をつくりあげる。
この事実から出発しない思念体構造は、顕在構造の中に根拠をもたなくなる。
時空に立脚点をもたない思念体構造を認める観念論哲学が根拠を失った思念体構造を支える。
時空に立脚点をもたない思念体構造に導かれることはVO活動の質を低下させ、魂を劣化させる。
観念論哲学は、魂を劣化させることに奉仕し、魂を苦悩に導く。
時空に立脚点をもつ思念体構造を擁護する哲学が唯物論哲学である。
唯物論哲学は、魂を向上させることに奉仕し、魂を喜びに導く。
弁証法哲学と唯物論哲学を結びつけたのはマルクスである。
神とともに進むマルクス主義は、弁証法的唯物論を哲学的基礎とする。
弁証法的唯物論は神々が支持する世界観である。
文書329『時間空間』についての天の解説
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
天と神々のプロジェクトチームが作成した文書を解説している。
今回は、329『時間空間』である。
http://auwa.sakura.ne.jp/forum/jdocuments/n107-329.html
時間と空間は対立の統一である。
時間であれば空間ではなく、空間であれば時間ではない。
時間は空間を前提とし、空間は時間の流れの中にある。
時間空間は顕在存在の基底である。
ヒッグズ粒子の充満が空間であり、ヒッグズ粒子の流れが時間である。
ヒッグズ粒子の充満の渦が全宇宙である。
ヒッグズ粒子の流れの分岐が多様な素粒子の流れであり、素粒子の流れの渦から原子、分子の物質世界の構造が成立している。
顕在存在の世界を時間の要素を無視してとらえる哲学が真理の認識に導かない理由は、顕在存在の世界がヒッグズ粒子の流れとして成立しているためである。
静止しているように見える目の前の物的構造物は光の速さで流れる素粒子を基底としており、素粒子の流れの渦によって一定の構造を維持しているように見えているのである。
329『時間空間』から紹介する。
観念論哲学は、魂を劣化させることに奉仕し、魂を苦悩に導く。
時空に立脚点をもつ思念体構造を擁護する哲学が唯物論哲学である。
唯物論哲学は、魂を向上させることに奉仕し、魂を喜びに導く。
Loreena Mckennitt Snow (video inspired by god of star)