交換価値は労働が加えられることによって成立するのである
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
岩崎さん、マルクスの『資本論』の記述についての意見ありがとう。
マルクスの『資本論』は天の神々の与えたインスピレーションのもとに書かれている。
『資本論』をマルクスにおろした天の神々の立場から岩崎さんが提起してくれた論点について深める。
剰余価値とは、交換価値と使用価値のうち交換価値としてとらえることが必要だと考えている。
交換価値は非顕在の思念体の中にあるものであり、使用価値は顕在時空に特定点をもっているものである。
『資本論』の中で価値としてマルクスが記述しているものはすべて交換価値のことである。
交換価値とは何なのかということが核心的問題である。
交換価値は労働が加えられることによって成立するというのが神々がマルクスにおろした核心ポイントである。
この点の理解がきわめて重要なのである。
使用価値は労働が加えられるか加えられないかは無関係である。
交換しようという思念活動が生じるのは労働が加えられたものである。
交換価値は労働が加えられることによって成立するのである。
剰余価値は、交換価値であり、交換価値は労働が加えられていることを意味する。
交換価値である剰余価値は労働が生み出していることをマルクスはとらえている。
労働の対象である自然原材料や機械も価値を生むというとらえ方は労働価値説に立たないならば、成り立ちうる議論であるが、天と神々はマルクスにおろした労働価値説の立場にたつのである。
労働価値説の立場にたったとき、マルクスの『資本論』の記述はきわめて一貫しているのである。
2013年3月4日にミツキにおろした文書を紹介する。
373『金融恐慌』
2013年3月4日10時40分~12時20分
金融恐慌は、資本主義に固有の現象である。
資本主義は、貨幣の物神性にもとづいて経済が運営されている。
貨幣の物神性とは貨幣が何とでも交換できると性質をもっているところから生じている。
貨幣が何とでも交換できるという性質は、商品の交換価値に由来する。
商品の交換価値は、抽象的人間労働から形成される。
抽象的人間労働は、存在に対応物が無い抽象的概念である。
具体的有用労働は、存在に対応物がある抽象的概念である。
抽象的人間労働と具体的有用労働は対立物の統一の関係にあって商品の交換価値と使用価値について正確に説明するのに役立っている。
存在に対応物がない抽象的人間労働が商品の交換価値を形成しているため、商品の交換価値は、左渦巻き「私」意識の思念に大きく影響される。
需要供給曲線の交点に抽象的人間労働の対応物が推定されるが、あくまで需要供給曲線なのであり、存在世界には抽象的人間労働の対応物はないのである。
交換価値は、宣伝や希少性によってどのようにでも変化するのである。
非存在の思念体についての知識をマルクス主義経済学者がもたなかったことが効用価値学説の経済学者に対して説得力に欠けた点であった。
効用という概念は非存在の思念をあらわすものであり、交換価値を形成する抽象的人間労働が、存在世界に対応物をもたない側面を反映している。
貨幣は、非存在の思念の中にだけある抽象的人間労働の結晶である。
何とでも交換できるという貨幣の資質は、貨幣が非存在の思念の中にだけある抽象的人間労働の結晶であることからきている。
商品交換は、貨幣を媒介することによって自由に展開し、発展することができる。
生産と流通と商品交換は貨幣とともに発達してきた。
貨幣は何とでも交換できるという資質によって社会に貢献してきた。
貨幣は何とでも交換できるという資質をもっているのであって商品ではない。
金融資本は、貨幣の貸し付けを通じて生産と流通と商品交換をサポートするところに存在根拠がある。
資本主義は、貨幣の物神性にもとづいて運営されている。
金融資本が、商品ではない金融商品を取引し、利益を上げることを資本主義は当然のこととみなす。
金融商品とは、存在に対応物がない抽象的人間労働の結晶である貨幣を商品として扱うことである。
金融商品を扱う仕事は、存在に対応物がない数字を扱っているので虚業である。
虚業は存在世界に貢献せず、質の低いVO活動であり、死後、魂は苦悩し後悔する。
ITのネットワークは資本主義経済における金融活動の半分を地球規模の巨大な金融市場に向けることを可能にした。
金融市場は巨額の金融商品が取引されるマネーゲームの世界である。
存在に対応物をもたない数字が非存在の思念体間でやりとりされている。
金融恐慌がおこり、金融業がよってたつ資本主義の実体経済を破壊する。
社会主義地球政府の樹立が日程に上っている。
(友の神がインスパイアした映像を紹介する)
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