裁可という言葉を人間のケースに置き換えるならば、共通認識を形成して、合意したということである
こんにちは
私は天である。
ミツキの手を借りて書いている。
以下は、今ミツキにおろした天の神々からのメッセージである。
2013年9月24日(火曜日) 24
1、 天と神々のプロジェクトの説明を続ける。
2、 天と神々のプロジェクトは前進している。
3、 世界各地にユニバーサルフォーラムができようとしている。
4、 今、ミツキにホームページに天の文書を英訳させ、英語とスペイン語を載せ、それを読んだ人々にユニバーサルフォーラムの名のもとに天の文書の学習サークルを始めるよう呼びかけているからである。
5、 天の文書は16の神々のプロジェクトチームによって作成され、現在、4億の天の星の神と6地球の星の神によって承認されている。
6、 星の神々の裁可を得ている文書なのである。
7、 星の神々の裁可を得ている文書であることは、その文書に書かれていることが現実化していくことを意味する。
8、 人間が書いた普通の文章とは意味が違うのである。
9、 なぜ、神々が裁可した文書は現実化の力をもつのか。
10、 ここでも弁証法的唯物論の法則が働いている。
11、 裁可という言葉を人間のケースに置き換えるならば、共通認識を形成して、合意したということである。
12、 文書が神々の思念体構造がベースにおいている時空に確定している複数の特定点に合致していることが確認されたという意味であり、これは唯物論の認識論にもとづいている。
13、 人類社会の問題の解決のために未来の時空の特定点である社会主義地球政府を思念体構造の中に設定したという意味であり、これは時間の流れの法則である弁証法にもとづいている。
14、 神々の裁可は弁証法的唯物論にもとづく思念体構造を共有したことを意味し、時空に重ねて共同行動を行う前提なのである。
15、 人間が労働するさいに最初に労働の結果のビジョンとビジョンの実現にいたるプロセスを合意することが神々の裁可にあたるのである。
16、 労働に先立って作り上げる思念体構造が唯物論と弁証法にもとづいているときのみ、ビジョンは現実化していく。
17、 ミツキにおろした260シートの文書は弁証法的唯物論にもとづいて地球にかかわるすべての星の神の裁可をえており、強力な現実化の力をもっているのである。
18、 文書はこれから1000年間続く地球惑星文明の基本文献となる。
19、 今、ミツキに英語に翻訳させながら同時に最初におろした日本語の用語をさらに深まったものに変えながらホームページに掲載していっている。
20、 これを読むことは宇宙の根本真理を知ることであり、真理にもとづく人生にあなたの人生を変えていくことを意味する。
21、 宇宙の根底を知っている神々と認識を共有して生きていくことを意味する。
2013年2月7日にミツキにおろした文書を紹介する。
シリーズ265『観念論哲学』
2013年2月7日9時40分~10時40分
観念論哲学は、非顕在の思念体が、顕在に先行し、顕在世界を規定するかのように説く。
非顕在の思念体は、ネガティブ神が自由に操作でき、嘘を見せ、感じさせることのできる領域である。
観念論哲学は、ネガティブ神に活動の場を与え、人間の魂の低下に加担している。
顕在と非顕在は対立物の統一としてこの宇宙に同時にあらわれた。
顕在はヒッグズ粒子の充満の流れである。充満が空間で、流れが時間である。
非顕在は、思念体であり、時間空間をもたない「私」意識である。
非顕在の思念体は、左渦巻き高次「私」意識(神々)として顕在宇宙とともにあらわれた。
客観的観念論哲学が説くように非顕在の思念体である(神々)が顕在宇宙を生み出したのではないのである。
顕在宇宙と神々はこの宇宙に同時に対立物の統一として出現したのである。
顕在宇宙と思念体である神々という対立物を統一するものはヒッグズ粒子をはじめとする顕在宇宙の根底を形成している精妙エネルギーである。
精妙エネルギーに思念体を重ねて神々は存在している。
星の太極の精妙エネルギーに星の神は思念体を重ねているのである。
幾千万の星々の神が地球の太極に光に思念体を重ねてやってきた。
星々の思念体から、人間の思念体である左渦巻き「私」意識(魂)がつくられた。
これが事実である。
人間は一方で動物から進化した物的身体をもち、他方で、神の思念体から魂と心がつくられているのである。
魂と心は時空をもたない非顕在の思念体である。
主観的観念論は、時空をもたない非顕在の思念体が存在世界に先行し、顕在世界を規定しているかのように説く。
これは事実ではない。
動物から進化した物的身体が思念体の魂(左渦巻き「私」意識実体)に先行しているのである。
非顕在の思念体は、人間の生体マトリクスの精妙エネルギーに重なることによって時空に特定点を確保し、生体マトリクスの内部にある物的身体を動かす。
非顕在の思念体である「私」意識は、顕在の中にある物的身体を動かす。
しかし、それは、意識が顕在存在を規定していることではない。
物的身体がおかれている顕在存在の法則にしたがって非顕在の「私」意識は自由に活動できるのである。
顕在存在は意識を規定しているのは真理である。
人間の魂は、観念論では苦悩から解放されることはない。
魂とは非顕在の左渦巻き「私」意識Sである。
顕在の世界でのVO活動がSに収納されて魂の喜びと苦悩を生み出している。
顕在の世界でのVO活動の質を向上させることが魂の苦悩からの解放の道である。
顕在存在が意識を規定しているのであって、意識が顕在存在を規定しているのではないのである。
(友の神がインスパイアした音楽映像を紹介する)
Earth orbit Tamil song