フトマニ文明の文字記号
フトマニ文明は、星の神がサポートする文明であった
星の神々にもとづく古代の文明は地球の各地にあった。
人々の思考活動の質が純粋であり、星の神々は人々をサポートできた。
農業生産力が始まってから、人々はグループ間で争うにようになった。
思考の質は低下し、ネガティブ神が人々を操作できるようになった。
古代文明は、大地のネガティブ神にもとづくものに転化した。
戦争と奴隷制が始まった。
星の神とともにあったフトマニ文明だけは、
3世紀に朝鮮半島北部からやってきた人々に征服されるまでは、
戦争も奴隷制とも無縁であった。
6000年前、揚子江のほとりに住んでいたフトマニの人々は平和的であった。
5000年前に、揚子江流域で農業が始まり、グループ間の戦争、紛争が始まった。
平和的であったフトマニの人々は、平和な土地をさがし、日本の奈良盆地を見つけた。
4500年前、日本へと海をわたった。
彼らは揚子江からもってきた稲作技術をもちいて、奈良盆地で農業を始めた。
次第にフトマニグループの人口は増えていった。
彼らは自分たちの文字を普及する中で平和的に周辺地域の住民を統一した。
平和的に周辺住民との統一を果たした古代文明は世界史上フトマニ文明だけだった。
(天の情報にもとづく)
朝鮮半島からやってきた騎馬民族系のグループが奈良盆地を制圧したのは 3世紀のことである
朝鮮半島からやってきた騎馬民族系のグループが奈良盆地を制圧したのは
邪馬台国という魏志倭人伝にでてくる記述は
3世紀のことである。
3000年間つづいてきたフトマニ文明がそこにはあった。
フトマニ文明の上にのっかって騎馬民族系の人間が支配した。
朝鮮半島の人々とつながりがある人間グループが支配したということであって
騎馬民族の文化を奈良盆地にもってきたわけではない。
そこで歴史学研究者たちは真実を見抜くことができずに
江上説を否定している。
大筋は江上説は正しいのである。
フトマニ図、フトマニ文明の専門家たちが殺害され
フトマニ文明が抹殺されたのは、7世紀の天皇中心の集権体制を
つくるのに、それまで長く栄えたフトマニ文明は邪魔だったからである。
フトマニ文明の研究が進むならば、邪馬台国が奈良の大和ではないことは明確になる
奈良の大和のフトマニ文明とは関係ない。
その記述は九州にあった地域勢力のものである。
フトマニ文明の研究が進むならば、
邪馬台国が奈良の大和ではないことは明確になる。
(video inspired by god of star)
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