「永遠の生命」として魂の親である神とともに生きる弁証法的唯物論
こんにちは
私は天である。
みつきの手を借りて書いている。
テーマは、哲学である。
私たちは天の神々は30億年前に弁証法的唯物論にもとづいてDNAを組み込んだ細胞を発生させ、地球の生命の星にするプロジェクトを実行し、成功させた。
マルクスとエンゲルスに弁証法的唯物論の哲学をおろしたのも私たち天の神々である。
今回の社会主義地球政府を樹立する大規模な天の神々のプロジェクトも弁証法的唯物論にもとづいて今、実行中である。
弁証法的唯物論は真理である。
今日、地球が生命の惑星として存在していることは弁証法的唯物論が真理であることを証明しているのである。
真理に忠実に生きるとき魂レベルが上がり、魂的に成功した人生を送る。
真理に不忠実であるとき魂レベルは下がり、死後、魂は後悔と苦悩の中でうめくことになる。
唯物論materialismという言葉は天の神々によってマルクスにおろされた。
人間とは非顕在の思念体と顕在の物的身体が重なった存在である。
非顕在の思念体は時空をもたない。
非顕在の思念体は心と魂の材料である。
神は時空をもたない非顕在の思念体である。
人間の魂は100万年前、神々の大規模な二回目のプロジェクトである魂プロジェクトによって星の神の非顕在の思念体から独立させることによってつくられた。
すべての人間の魂が神の子であるというのはそういう意味である。
人間は非顕在の思念体である魂が、身体の精妙エネルギーの場である生体マトリクスに重なった存在である。
神々は、非顕在の思念体が、星の精妙エネルギーの場である太極に重なった存在である。
人間は非顕在の思念体と顕在の物的身体の対立物の統一である。
思念体であれば、物的身体ではなく
物的身体であれば、思念体ではない
思念体は物的身体を通じて活動し
物的身体は思念体を前提としている。
非顕在の思念体は、顕在時空の特定点を確保して、一定期間を時空で過ごす。
人生である。
唯物論、すなわちmaterialismとは、顕在時空を意味する。
非顕在の思念体は、顕在時空の展開に貢献することによって神の非顕在の思念体の資質に近づく。
神の非顕在の思念体の質に近づくことが、魂レベルがあがることである。
観念論は顕在時空の展開に貢献しない。
観念論は、顕在時空に特定点を確定しない思念体構造である。
顕在時空に確定された複数の 特定点にもとづく思念体構造が、真理である。
観念論哲学は真理にもとづかない生き方に導く。
顕在時空に確定された特定点をもたない思念体構造に導かれる人生は嘘に導かれる人生である。
嘘に導かれる人生は存在時空に貢献しない。
存在時空に貢献しない人生は魂レベルが低下する。
死後、後悔と苦悩が待っている。
弁証法とは、時間の要素を考慮にいれて思念体構造をつくることである。
顕在世界は、時間の流れの中にある。
何一つとして一つの箇所に留まるものはない。
時間の要素を組み込まない思念体構造はすぐに偽りに転化してしまう。
時空に確定された特定点は、時間の中で過去に流れさる。
確定された特定点を失った思念体構造は偽りである。
弁証法を組み込まない思念体構造はすぐに偽りに転化する。
偽りの思念体構造に導かれる人生は顕在時空(material世界)に貢献できない。
偽りに導かれる人生は魂レベルが下がる。
死後、魂の後悔と苦悩が待っている。
弁証法的唯物論の哲学から組み立てられた思念体構造が、顕在時空(material世界)に貢献でき、魂レベルがあがる。
神の思念体の質に近づくのである。
神の思念体は、地球の太極のどこにでも思念体を自由に重ねることができる。
人間は、思念体の質が低いために身体の精妙エネルギーの流れの場である生体マトリクスに重ねて、生死を繰り返すしかないのである。
弁証法的唯物論にもとづく思念体構造に導かれた人生によって神の思念体と同質になったとき、魂は神とともにも地球の太極のどこにでも自由に思念体を重ねることのできる「永遠の生命」として魂の親である神とともに生きるのである。
『太極』 (天と神々のプロジェクトのホームページより)
神の思念体は非存在(非顕在)の左渦巻き高次「私」意識実体である。
非存在(非顕在)の左渦巻き世界は時間空間をもたない思念体からなる。
非存在(非顕在)の思念体はパソコンのフォルダの階層構造状になっている。
神の思念体の中に人間の思念体がある。
神の心の中に人間の心がある。
すべての人間の心は常に神とともにあるのである。
(友の神がインスパイアした映像を紹介する)
Beautifull Earth (tesophotography, timescapes)